こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
今日は少し、ケアプランへの向き合い方について書いてみようかなと。
よく周りでもネットでも「ケアプランって意味なくね?」という言葉を聞きます。正直に言うと、昔の私もそう思っていました。
介護保険サービスを正しく利用するための建前書。
必要な文言が入っていて、不必要なことが書いていなければそれでいい。
大事なのは文章じゃなくて、支援の中身や、寄り添う姿勢だろうと。
きっと、同じように感じたことがある人もいるのではないでしょうか。
📄 形だけ整えればいいのか
ケアプランは制度上必要な書類です。
介護保険の仕組みとして、無駄な支援を防ぎ、財政の圧迫を防ぐための専門的視点もある。
それは間違いありません。
だから最低限の文言が整っていれば、書類としては成立します。
実際、それで問題が起きるわけでもないですしね。
でも、ある時から少しずつ考えが変わってきたんです。
🌱 思いがあると、プランは力を持つ
リハビリに励み、なんとか夢だった旅行に行けた方。
「病院でも施設でもなく、家で最後を迎えたい」と強く望まれ、家族に見守られながら自宅で最期を迎えられた方。
そういったケースに関わる中で感じたことがあります。
思いがはっきりしているとき、チームは強い。
そしてその思いを可視化し、共有し、方向を揃える役割を果たすのがケアプランなのだと。
達成できても、できなくても。
やり切ったと感じられることが、ご本人やご家族の救いになることもある。
特に終末期などは状況が目まぐるしく変わり、どうしてもプランが後出しになることもありますが、「今」必要なことを全員で把握し進むための設計図には欠かせません。
大変ですけどね(;^ω^)
経験のある方なら、静かにうなずく部分ではないでしょうか。
🌾 種がなければ、芽は出ない
ここで大事だと思うのは、
ケアプランは、ケアマネが先導するものではないということ。
ケアマネは水をやり、肥料を与えることはできる。
でも、種そのものは作れません。
強い思い。 はっきりとした希望。 「こうしたい」という言葉。
それがあって初めて、芽が出るんですよね。
何も希望がなければ、そもそもプラン自体が発生しない。
だから私は、できるだけ問いかけます。
「こういう思いですか?」 「本当は、どうしたいですか?」
それでも思いがはっきりしない場合、
「おそらくこういう思いなんだろうな」という推測の域を出ないこともあります。
そうなってくるとどうしてもプランは弱くなるなと。
だからこそ、はっきりと言葉にしてもらうことが必要なんです。
言いにくい気持ちは、よく分かります。
でも、
言葉になった思いは、チームを動かします。
🚪 先導ではなく、伴走
極端な話ですが、
デイに行きたくない方を無理やり連れていくのはケアマネの仕事ではありません。
一方で、
昔、生け花が好きで教室に通っていた。 手は不自由になってきたけれど、それでももう一度やりたい。
そういう希望があれば、そのためのデイやリハビリを全力で探します。
そこには明確な目標があるから。
到達できるかどうか。 維持か、緩やかな減退か。
道筋を一緒に考えることができる。
それがケアプランの本来の姿なのだと思います。
⚖️ 意味を持たせるのは、誰か
「ケアプランは意味がない」
そう言ってしまえば、たしかにそうなってしまう。
最低限の文言があれば、制度上は問題ないのも事実。
でも同時に、
それが道筋にも、ゴールにもなり得るのも事実です。
意味を持たせるかどうかは、ケアマネ次第でもあり、それ以上に、本人や家族の思い次第。
私はかつて、書類よりも中身だと思っていました。
今も、寄り添うことが最優先だという考えは変わりません。
でももし、
自分の言葉一つで、誰かの後ろ向きな思いを少しでも前に押し出せるのだとしたら。
そんな役割が自分にあるのなら。
それは、なかなか素晴らしい仕事なんじゃないか。
最近は、そう思っています(●´ω`●)
★おまけ★
綺麗事の話をしたいんじゃないんですよね。
ただ、ケアマネがケアプランを意味がないって言ってしまうと「私は意味を持たせられない」って言ってしまっているような気がするんです。
もっと向き合っていけたら・・・
もっと良くするには・・・
日々そう思って働いています(●´ω`●)
