こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
今日は、少し耳の痛い話をしてみたいと思います。
はじめにお伝えしておくと、この記事は、僕がケアマネの仕事を通じて知り得た利用者さんやご家族の事例ではありません。
身近で実際に起きている出来事をもとにしていますが、個人が特定されないよう、関係性や一部の状況を変えて書いています。
もう一つお伝えしておくと、介護が大変だと感じているご家族の多くは、本当にぎりぎりの状況で、日々一生懸命介護と向き合っています。
この記事は、そうした方々の大変さを「言い訳」と表現したいわけではありません。
ただ、ごく一部には、本人も意識していないところで、「介護が大変な状況」が別の役割を持ってしまっている場合もあるのではないか。
この記事はそういった、困っている家族を責める話ではなく、支援者が持つべき視点の話です。
今日は、そんな一つの可能性について考えてみたいと思います。
ある家庭で、認知症のある親と同居している家族がいます。
親の状態が変化したことに加えて、それまで親が担っていた家や土地の管理も、同居している家族が引き継ぐことになりました。
もちろん、仕事をしながら介護や家の管理をすることは簡単ではありません。
突然いろいろなことを任され、気持ちの整理もつかないまま生活が変わってしまった。
その精神的な負担も、かなり大きいと思います。
ただ、実際には介護や身の回りの対応の多くを、離れて暮らす別の家族が担っているそうです。
とはいえ、遠方からの手助けも十分に行うことはできず、周囲からいろいろと言われるようになりました。
同居している家族は、
「自分でやる。」
と言います。
しかし、現実には十分にできていない。
それでも、誰かに任せたり、別の方法へ切り替えたりすることには抵抗があるようです。
介護サービスを増やす。
施設への入居を検討する。
家や土地の管理を誰かに依頼する。
自分だけでは難しいのであれば、ほかの解決策へ移ることはできます。
もちろん、親に住み慣れた家で暮らしてほしいという思いもあるでしょう。
金銭的な問題もあります。
親を施設へ入れることへの罪悪感もあると思います。
それでも、話を聞きながら、僕は一つのことを考えました。
もしかすると、その人にとっては、
「大変で困っている状況」そのものが必要になっているのではないか。
ということです。
自分が困っていないと困るってことです。
これは、本人から直接聞いた話ではありません。
あくまで、外から状況を見た僕の仮説です。
実際には、まったく違う理由があるのかもしれません。
ただ、こういうことは人間の心理としてあると思うんですよね。
今は、
「認知症の親を見ながら仕事をしている。」
という、とても大変な状況があります。
家や土地の管理ができなくても、
ほかのことに手が回らなくても、
生活が整っていなくても、
「介護が大変だから仕方がない。」
という説明がつきます。
ところが、親が施設へ入居して介護の負担が減ったら、その説明が使えなくなります。
介護の負担が減ったのに、なぜ家や土地の管理ができないのか。
時間ができたのに、なぜ今まで止まっていたことが進まないのか。
そこで初めて、自分の怠惰な部分や苦手なこと、できていないことが、そのまま明るみに出てしまうかもしれません。
つまり、介護の問題が解決すると、今度は自分自身の問題と向き合わなければならなくなる。
だから、本人も意識していないところで、問題が解決しない今の状況を維持しようとしてしまう。
そのようなこともあるのではないかと思います。
できていない理由があるとホッとする。ということですね。
これは、その人だけを責めたい話ではありません。
僕自身にも、こういうところは大いにあります。
「仕事が忙しいから。」
「今日は疲れているから。」
「今はほかにやることがあるから。」
そんな理由をつけて、やらなければならないことを後回しにすることがあります。
もし忙しさがなくなったら、単純に僕が面倒くさがっていただけだと、はっきりしてしまいます(笑)
大変な状況があることで、
「今の自分が不完全なのは、自分のせいではない。」
と思うことができる。
問題が自分を苦しめている一方で、その問題が自分のだめな部分を隠してくれている。
練習不足で試合に負けた。
→本気で練習して負けたら、自分の実力と向き合わなければならない。
勉強せずにテストで赤点を取った。
→本気で勉強して赤点を取ったら、「やらなかったから」という言い訳ができなくなる。
だから、あえて十分に準備をしないことで、結果が悪かったときに自分を守る。
何か理由があることで、自分の弱いところを隠すことができる。
そんなことが、人にはあるのだと思います。
ただ、介護において難しいのは、そこで終わらないことです。
大変な状況を必要としている本人だけの問題であれば、まだ本人の選択と言えるのかもしれません。
しかし、介護には相手がいます。
介護される本人の生活があります。
代わりに動いている家族がいます。
周囲の関係者や、近隣の人たちもいます。
一人の人が自分自身の問題と向き合わないために、別の誰かが負担を背負い続ける。
介護される本人が、必要な支援を受けられない可能性がある。
離れて暮らす家族が、何度も通って対応しなければならない。
周囲の人が、管理できていない部分の影響を受ける。
そうなれば、
「本人にもいろいろな思いがあるから。」
だけで、いつまでも済ませてよい話ではありません。
その人がなぜ今の状況を手放せないのかを理解することと、その結果として生じている負担を容認することは、別の話です。
これは、ケアマネジメントの中でも起こり得ます。
介護が大変だと訴えている。
ケアマネから見れば、利用できるサービスも解決策もある。
しかし、なぜか提案を受け入れない。
自分で介護すると言い続けながら、実際には別の家族へ負担が集中している。
そんな場面で、
「本人や家族が希望していないから。」
という理由だけで話を終わらせてしまうと、見えないものがあるのかもしれません。
その問題が解決すると、その人にとって何が明るみに出るのか。
その人は、「介護が大変な自分」でいることで、何から守られているのか。
そして、その状態を維持するために、誰が代わりに負担を背負っているのか。
少し意地悪な見方に感じるかもしれません。
もちろん、すべての人に当てはまる話ではありません。
きっと多くの方が一生懸命現状と向き合いながら生活を保とうとされています。
そして本人や家族に対して、
「あなたは介護を言い訳にしていますよね。」
などと、ケアマネが決めつけてよい話でもありません。
それでも、支援がなかなか前へ進まないときに考えておくべき、一つの可能性ではあると思います。
ごく一部には、介護が大変な状況を必要としている人もいるのかもしれない。
そして、その状況を維持するために、介護される本人や周囲の家族が影響を受けていることもある。
本人が何を言っているかだけでなく、
それを取り巻く環境は何か。
誰が負担し、誰の生活が犠牲になっているのか。
そこまで見なければ、本当の家族関係は分からないのかもしれません。
問題を抱えている人が、必ずしも問題の解決を望んでいるとは限らない。
解決したくないと意識的に考えているわけではなくても、問題が解決しないことで守られている自分がいる。
人には、そんな複雑な部分もあるのだと思います。
その可能性まで考えながら、本人だけでなく、周囲にいる家族の生活も含めて支援していく。
それも、ケアマネジメントに必要な視点なのかもしれませんね。
★おまけ★
ここまで書いておいて何ですが、人の心の奥を考えるときほど、自分に都合の良い分析になっていないか疑うことも必要ですよね(´・ω・`)
「きっと、この人はこう思っているに違いない。」
と決めつけるのではなく、
「そういう可能性もある。でも、本当のところはどうなのだろう。」
と考える。
人の心の奥は、他人には見えません。
そして100%理解することは無理です。
それでも、決めつけずにいろいろな可能性を考えながら関わることで、その片鱗に触れられることがあります。
もし少しでも理解することができれば、そこから解決の糸口が見つかるかもしれませんね(●´ω`●)
