こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
「良いケアマネとは」とよく耳にすることがあります。
良い警官とは、良い操縦士とはとかはあまり聞かれませんが
良い教師とは、とか。
良い医師とは、とかは聞くことがあります。
おそらく自身の生活に密接に関係したり影響したりする場合、この良し悪しが気になってくるのだろうなと
あくまで僕の考察です。根拠は特にないです。
ただ、その「良い」ってなんだろな、と思った時に案外言語化って難しいなと。
良い教師って教え方がうまい教師?よく話を聞いてくれる教師?それともちゃんと叱ってくれる金八?鬼塚?
おそらく子供の数だけ答えがありそうなんですよね。
僕は金八も鬼塚も自分の担任だったら嫌だけど、それが良い人もいるだろうしね。
教師に限らず、あらゆる場面で人は相手に対して「自分にとって」良い○○かどうかっていうことを判断基準にしてるんじゃないかなって。
と、ここまでは何となく理解できるところだと思うんですけど、
ちょっとイレギュラーな話になると、
「子供にとっての担任の教師」とか、
「親にとってのケアマネ」
ってちょっと見方が違うと思うんですよね。
自分の為でもない、けど100%親目線や子供目線にはなれない。
子どもの為でもあるけど自分の主観や思いも入ってくる。
純粋なミネラルウォーターではなくて、「いろはす」くらいにやんわり思いが入る人もいれば、「超力水」みたいに一見透明だけどむっちゃインパクトあるやんけてこともある。
超力水懐かしいですね(●´ω`●)みんな知ってるかな
とまぁこれが自然ではないかなと思うんですよね。
僕はこれに関して良い悪いの話をしたいのではなくて、むしろ僕も義母がお世話になってる立場でもあるし、
母から「今日散歩した」っていうLINEが来て、
元気でよかったと思ったんですよね。
何気ない事でも大げさに思える家族なら
できるだけこの混ざりものを脇に置きたいと思っても、完全にはできない。それも当たり前なのかなと。
むしろそれこそが大事なのかもしれない。
完全な他人にはなれないし、実の親とかであればなおさら幸せであってほしい。
家族は本人を思うからこそ、自分の不安や希望も重ねる。
だからきれいな水ではいられない。
ケアマネ側も、「家族の思い」と「本人の思い」が完全に同じとは限らないと分かったうえで聞く。
その混ざりものを責めずに、理解し、丁寧にほどいていくことが大事なのかもしれないなって。
★おまけ★
超力水から水を抜いたら超力が残ることに今気づいたので、どうにか復刻することを願ってます
