子どもの幸せを祈っても、強要はしない

考え方の話

こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)

理由が分からないと動けない。
納得しないとやらない。

これ、結構あるあるだと思うんですよね。

僕自身、昔は特にそうでした。

「何のためにするのか」
「それをして何になるのか」

そこが分からないと、なかなか動けないっていう。

なんやかんやで今でも何かを検証するときは、結局「道理」を求めている気がします。

一方で、僕みたいなおじさんになってくると

「当時はよく分からずやっていたけど、結局あれが活きているな」
「あの時の経験って、こういう意味だったのか」

そんなことも増えてきます。

ていう話は今まで死ぬほどしてきたのでいいんですけど

今回はこういう

「とりあえずやってみ?」

ていうのを子どもにさせたり教えたりするの難しいですよね。って話で

正直、親としてはできれば失敗も成功も、いろいろ経験してほしいわけです。

だからこそ

「とりあえずやってみろ。きっとその経験が、いつか実を結ぶから」

なんて歴戦の勇者みたいなことをむっちゃ言いたくなる。

でも、僕が言っても説得力がない。勇者どころか一般男性Aだし。

ましてや思春期にそんなことを言ったら、

「どの口が言っとんじゃボケ」とか
「そんな絵空事、聞きたくもないわ!」

と言われかねないですよね。

まあ、そこまで言われたら普通に泣きますが(笑)

なので僕は、遠回しに『スラムダンク』を勧めたり。

人生の教訓になりそうなドラマや小説を勧めたりしています。

うざいですよね(笑)超めんどくさじじいなわけで(笑)

結局のところですね

期待と祈りは、似ているようで違う。

ということなんです。


期待には、どうしても「こうなってほしい」

という自分の望みが重なります。

一方で祈りとは

「ただ幸せでありますように」

と、その子の未来を信じて見守ることであって、こちらから余計な干渉をしないんです。

ついつい、いっぱい期待しちゃいます。だって自分の分身みたいなものですからね。

だからこそ子どもには、いろいろ経験してほしい。

でもそれは、親のエゴではないか?
子ども自身が望んでいることなのか?

と。本当に何かを経験して、成長してほしいなら
いつでも助けられるように準備だけして見守る。

手は出さずとも、心まで離さない。

そっと祈りを捧げるような距離感を、大切にしたいですね。

子どもには祈りを捧げても、執着や強要はしてはいけない。

とまぁ分かっていても難しいんですけどね(笑)

★おまけ★

一般男性Aの僕ですが、いつまでも子どもにとっての「勇者」でありたいと思う今日この頃です。

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