資本主義な介護を作る

事業の話

こんにちはまんぷくです(●´ω`●)

このような題名だとどうしても

「ん?筆者はほのぼのとか言いながら貧富の差を助長したいのか?」

などと誤解をされてしまいそうですが、全然そんなことはなくて、私は介護業界の成長を強く望んでいます。

そのことについてこの度は書いていきたいと思います。

民主主義な介護業界

資本主義と民主主義。各イメージとしては

資本主義・・・持つものはより多くのお金を得て、持たざる者はお金を手に出来ない社会。優れた人がどんどん伸びていく。自由競争社会。

民主主義・・・全員が有権者で、皆平等。貧富の差をなくし皆で決めていこう。

簡単に言うとこんな感じでしょうか。

なぜ介護業界が民主主義だと私が言っているのか、それは介護業界の働き方が上記のイメージそのものだからです。というのも、介護福祉士は

「業務独占」・・・資格がないとその業務をすることが出来ない

ではなく

「名称独占」・・・資格がなくてもその業務ができる

であるため、介護福祉士でなくても介護業務に携わる事が出来るわけです。

つまり介護とは勉強し知識を得た「一定のラインを越えた者」、または「資格がないとできない仕事」というわけではない為、故に色んな職員が存在し、能力の振り幅が大きく、個人差が生まれるのは必然なわけです。

介護も正しい知識と技術をもってすればよりよい介護が行えますし、あまりの卓越した技術に利用者から好かれてしまう職員が存在することも多分にあります。そんな人気者が生まれたとしても、その職員が毎日常に全員にサービスを行うことはできないですよね。

つまり、ずば抜けた職員が存在してしまうとその職員がいる時といないときのサービスの質にばらつきが出来てしまうというわけです。

そうなってくると、利用者からも「あの人は上手。あの人は下手」などといった良し悪しの評価をされ、時にはクレームが来てしまう事もあります。

なので介護業界が必要とするのは誰でもできる介護技術、再現性の高いケアです。30点の仕事人と100点の仕事人が共存してはトラブルの元なので、皆で40点の仕事を目指そうね♪という世界観なのですね

この点に関しては、業務やシステムの都合上、仕方のないことだと理解はしています。

さて、ここで問題とするのは「どこにラインを引くか」です。ラインというのは「どこまでが再現できる技術とするか」の位置の事です。先ほどの点数でいうと50点にするか40点にするかといったところでしょうか

あまりにもできる人の技術に合わせ過ぎたラインを引いてしまうと、それに届かない方が挫折し時には僻み、いじめや退職の原因にも成り得ます。

呑み込みの早さには個人差がありますからね、誰しもうまくいかない日々が続いては苦しみを覚えます。

勿論、職員の中には「できるように勉強し努力をする!」と前向きな方もいらっしゃると思うのですが、それが多数意見でない場合はどうしても人間の心理上「楽な道」を選択してしまうようになります。

はっきり言うと

「誰でもできるケア」が一つのラインとなりますが、これは最大限努力し獲得できるギリギリのケアではなく、最小限の努力でギリギリ許されるケアにラインが引かれがちだという事です。

「30点でいいじゃない」

本当にそうでしょうか。サービスを受けるのは人です。自分の親かもしれない。自分かもしれない。努力によって洗練された技術ではなく、適当な支援でも納得できますでしょうか。

「最低限のケアにラインを引く」

これが介護業界の成長を妨げる本当の闇だと私は考えています

本当はできる人が腐っている

このある意味での「民主主義制度」が根強く残っており、まさに多勢に無勢。

できる能力がある人はその能力を活かしきれない環境が何十年も続いているのです

因みにこちらが↓厚労省調べの介護福祉士の主な退職理由となっています。

このグラフからもわかるように、人間関係や運営方法が納得できず、自分の将来が見えない状況にあるため退職を選んだ方が上位にあることがわかると思います。

勿論すべての事業所がそうというわけではないですが、多くないのは事実です。

福祉業界の発展を考えるのであれば、できる人は絶望しどんどん離れ、できない人が残り続ける現状はできれば避けたいところです。

誤解をしていただきたくないので説明しますが、この「出来ない人」というのはいろんな形があります。ですが、少なくとも「上手にやろうと思ってるのにできない」人を指しているわけではありません。例えば以下です↓

・やる気のない人(昔はあった人も含む)
 何らかの形で介護に絶望し、やる気のある人を見ると「自分は諦めたのにまだ頑張ってるやつがいると悔しい。あいつも同じ目に合えばいいのに」と足を引っ張ってしまう人。
 そもそも初めから何にしてもやる気はない人。

・自尊心が高く、悟ったつもりの人。
 「介護とは」と自分の中で決め込んで新しい知識を会得しようとせず他人からも学ぼうとしない人。そしてプライドが異常に高い

・ほんとは熱意をもってやりたいのに、周りに流されてしまった人。

一例に過ぎませんが、要は周りの士気を下げる方が業界に残り続けてしまっているのですね。

反面、問題意識を常に持ち向上心を持った職員もいます。

「本当は利用者さんのために○○したほうがいい」とか

「○○は効率が悪すぎて業務を圧迫させている」とか

気付きがあるにもかかわらず言い出せないそんな職員。勿論職場環境やその人のキャラ等もありますが「言ったところでできない人たちが憚り、言うだけ損してしまう」という環境があまりにも多く、成長しない最悪な職場環境のまま終わるわけですね。

例えばそこで新しい風を受け入れ、成長できる環境であれば

・新しい提案を受け入れる環境が整っている

・トライ&エラーを繰り返し、最適解を見つける

・業務の効率が良くなる

・職場環境が良くなり、人間関係も改善される

・利用者の満足度も上がり評判も良くなる

・自己肯定感を高く持つことが出来るようになる

・気付いたことを提案しやすくなる

とまぁここまでうまくいくとは限りませんが、少なくともプラス効果の好循環は起きます。

理屈で言えば実に簡単ですが、上司の立場で考えてみましょう

現場も「なまもの」なので、少しの刺激が大きな波を起こし、それが革命を起こすこともあれば崩壊してしまう事もある。

だから、せめてリスクは最小限に何事も起こさないようにするのはある意味大切な判断なのかもしれません。職員それぞれに感情もあり家庭もある。上司はそれを守らなければならない(他にも上からの圧や他機関との相互作用など色々上司として考えなければならない事もありますが)

介護業界を変える一手

さて、ここまでで介護業界の目立つプレイヤーたちを紹介してきました。

新しい気付きの革命児、足を引っ張るできない人、いろいろ守りたい上司

彼ら彼女らは歴史が生み出した循環に過ぎません。個人が悪いわけでもなく、きっとだれもが抗えないのでしょう。

そしてこの3プレイヤーを支えているのは介護の好き加減は個人差があるけど、少なくとも介護業界で働きたいと思った福祉の心を持った方々です。

私は、せっかく福祉の道を選んだのなら腐らず生き生きと働いてほしい。日々、そう思っています。

ですが、すでに説明した通り介護業界の闇は深いです。あまりにも深すぎて少し光を照らしたところですぐに闇に飲み込まれてしまいます。

だから私は考えたのです。全く違うステージで、それぞれがラインを寄せ合うことなく、それでいて利用者に満足してもらえるサービスを。誰もが価値を感じ、自由に働ける。そんなサービスを考えました。

本来であれば今年の4月には公開できるはずだったのですが、コロナ禍で中々事が進まず、あと一歩のところで停滞してしまっています。ですがもうリリース間近です。

岡山の福祉が少しでも明るくなるように、最良の一手を繰り出すことをここに明言します。

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