こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
今日は「本人らしさ」について少し考えてみようと思います。
介護の研修や会議の中で、
「本人らしい生活」
「その人らしい暮らし」
「本人の意向を大切に」
という言葉はよく出てきます。
もちろん、とても大切なことです。
私もケアマネとして、本人らしさや本人の思いは大切にしたいと思っています。
ただ一方で、時々こうも思うんですよね。
本人らしさって、いったい誰が決めるんだろう?
目次
🌱 立場によって見え方が違う
「本人らしさ」と一言で言っても、見る立場によって少しずつ意味が違う気がします。
行政の立場で見ると…
できるだけ元気で、住み慣れた地域で暮らし続けてほしい。
介護保険制度を持続させるためにも、必要以上に悪化しないようにしたい。
だから、リハビリをして、地域のサロンに参加して、できるだけ自立した生活を続ける。
それも一つの「本人らしさ」かもしれません。
包括支援センターの立場で見ると…
困難事例や地域課題をどう支えるか。
本人が孤立しすぎないように。
大きなトラブルにならないように。
地域の中で安全に暮らせるように。
ある程度の生活基盤を固めたうえで、その人らしさを支えていく。
家族の立場で見ると…
また違うんですよね。
家族は本人の歴史を知ってる。
若い頃の姿。
仕事をしてた頃の姿。
親としての姿。
そういう「元気だった本人」を知ってるからこそ、
「本当はこういう人だったのに」
「こういう生活をしたいはずなのに」
と感じるんだと思う。
それは家族だからこそ見える本人らしさです。
🤔 じゃあ本人はどうなのか
「私はこうしたい」「こういう暮らしがしたい」とはっきり言える方もいます。
それはとても大切な意思です。
でも、みんながそうじゃないんですよね。
「もう何でもええ」
「なるようになる」
「別にどうでもええ」
そんな言葉を聞くこともあります。
本人が一番、自分らしさに興味がないように見えることもあります。
「自分らしさなんて、燃えるゴミの日に捨ててきた」
そんなふうに言われることもある。
もちろん、本当にそうなのかは分かりません。
もしかしたら、本人の中では本当にどこかへ置いてきた感覚なのかもしれません。
でも、年齢を重ねる中で、病気をして、できないことが増えて、家族に気を遣って、何度も諦めてきた結果。
「自分らしさ」を語る元気が残ってない人もいるのかもしれません。
☕ ケアマネはその真ん中に立つ
では、ケアマネは何をするのか。
行政の視点も分かる。
包括の視点も分かる。
家族の思いも分かる。
本人の言葉も聞く。
サービス事業所の意見も聞く。
そのうえで、ゆっくりゆっくり懐に入っていく。
「さて、あなたにとっての自分らしさって、どのあたりにありますかね?」
って。
ただ、これは簡単ではありません。
本人らしさを一発で見つけることなんてできないんですよ。
初回面談で少し話を聞いたくらいで、
「この方の本人らしさはこれです」
なんて言えません。
何度も会う。
何度も話す。
沈黙も見る。
表情も見る。
生活の様子を見る。
家族の話を聞く。
関係者の話も聞く。
その積み重ねの中で、少しずつ見えてくるものなんだと思います。
💡 安易に否定できない言葉がある
時には、本人からこんな言葉を聞くこともあります。
「このまま家で野垂れ死んでもええ」
こちらとしては、
「いやいや、そんなこと言わずに元気でいてくださいよ💦」
と言いたくなります。
実際に、そう言うと思います。
でも、その言葉の奥に、本人の切実な思いや人生が乗ってることもあります。
やり切ったこと。
諦めたこと。
失ったもの。
守りたいもの。
人に迷惑をかけたくない気持ち。
もう十分生きたという感覚。
できてたことができなくなったこと。
本当はこうしたいのに、もう二度とできないこと。
そういったものが全部乗った言葉だった場合。
ケアマネはそれを安易に否定できなくなる時があるんですよね。
もちろん、命や安全に関わることをそのまま放っておいて良いという話ではありません。
必要な支援は考える。
必要なサービスにも繋ぐ。
でも、その言葉を単なる投げやりな発言として片付けてしまうのも違う気がする。
「そう言わずに頑張りましょう」だけでは届かないことがある。
その人がなぜそう言ったのか。
その言葉の奥に何があるのか。
そこを考えることも、本人らしさを考えるうえでは大切なんだと思います。
🌿 結局のところ「およそこのあたり」までしか分からない
研修などでは、「本人らしさを明確にし大切にしましょう」とよく言われます。
もちろんその通りです。
ただ、現場で向き合っていると、最終的には「およそこのあたりなのかな」くらいまでしか分からないのではないかと思う。
むしろそれが「誠実」だと思うんです。
決めつけてしまう方が、怖い気がしますね。
だって、本人にしか分からないことだからです。
なんなら、本人にだって分からないこともあります。
自分らしさなんて、そんなに簡単に説明できるものではありません。
私自身、「あなたらしさって何ですか?」と聞かれても、すぐには答えられません。
多分、「えーっと、悩みながらnoteを書くところですかね」くらいしか言えません(笑)
それくらい、自分らしさというものは曖昧なんです。
💭 ケアマネができること
だからこそ、ケアマネができることは、完璧に分かったつもりにならないことなのだと思う。
「この人はこういう人だ」
「この人はこう望んでいるはずだ」
「この人らしさはこれだ」
そう決めつけるのではなく。
「今のところ、こうなのかもしれない」
「でも、もしかしたら違うのかもしれない」
そう考え続けること。
本人の言葉を聞きながら。
生活の様子を見ながら。
家族の思いも受け止めながら。
制度や地域資源とも照らし合わせながら。
少しずつ、より近いものを探っていく。
それがケアマネの仕事なのかもしれません。
🍂 おわりに
本人らしさには、たぶん正解がありません。
行政から見た本人らしさ。
包括から見た本人らしさ。
家族から見た本人らしさ。
支援者から見た本人らしさ。
そして本人自身が感じているかもしれない本人らしさ。
それぞれ少しずつ違う。
だからこそ、簡単に答えを出してはいけないんだと思う。
本人らしさは、見つけるものというより、探し続けるものなのかもしれません。
そしてケアマネは、その答えの出ない問いのそばにいる仕事なのだと思います(●´ω`●)
皆さんは、「本人らしさ」と聞いて、何を思い浮かべますか?
★おまけ★
ちなみに私らしい生活とは何かと聞かれたら。
適当なくせに繊細で一人が好きなくせに構ってほしい、くそめんどくさい奴なので。
基本放っておいてもろて、時々「元気?」って覗いてあげてください(●´ω`●)
って答えます(笑)
めんどくさすぎ(笑)

