こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
ぶつぶつ毎日ひとりごと投稿もついに100日が経過し、
せっかくなので思いっきり自分語りでもしていこうと思います♪
というわけで中学生の頃、剣道部の顧問の先生から教わった話をしていきます。
中学生の頃に接する大人って、だいたい「親」と「先生」くらいですよね。
当時の僕にとって、大人はみんな、自分よりずっと大きな存在でした。
中でも、母は特別でした。
母子家庭で、子ども5人。
兄は事故で頸椎を損傷し、長いリハビリ生活。
母自身も身体が弱い中、仕事を休まず、毎日病院に通い、愚痴一つ言わずに家族を支えていました。
今思い返しても、あれは「すごい」の一言では足りません。
あの背中は、今でも僕の誇りです。
👘防具の価値
中学生になるとひょんなことから親友と一緒に剣道部に入ることとなり、毎日の基礎練に明け暮れ、やがて防具をつける時期が来ました。
剣道をやったことがある人なら分かると思いますが、防具って、安くありません。
裕福ではなかったうちではなおさら・・・
それは13歳の僕でも分かっていました。
だからなかなか母に言い出せなかったんですよね。それでもなんとか振り絞って伝えて・・・
すると母は、ネットで中古を探してくれました。
格安で防具が手に入り、僕はそれが嬉しくて仕方なかったのを覚えています。
稽古に稽古を重ね、やがてレギュラーになり、負けん気の強さを買われて大将も任されました。
中古だからか、僕だけ胴着が白かったんですよね。
男子って普通は紺色じゃないですか。んで女子が白だったり。
生地も薄かったけれど、恥ずかしいと思ったことはありませんでした。仲間もバカにするやつは一人もいませんでした。今思えば最高の仲間たちです。
「人と違っても、その分強ければいい」
そう思って、ひたすら稽古をしていました。
✘言えなかった一言
14歳の夏。
県外での2泊3日の合宿が決まりました。
必要な遠征費は、約2万円。
……僕は、母に言えませんでした。
母が毎日仕事を愚痴も言わず頑張っていること
夜中に働きすぎて視力がかなり低下したこと
毎日遠方のリハビリ施設に長男に面会に行っていること
不登校の次男が遠方の高校に再入学すると言って片道1時間以上かけて学校に連れて行ってあげていること
家計が楽じゃないことも、弟や妹に、これから先があることも、
全部、分かっていたからです。
だから僕は稽古の後、道場の隅で剣道部の顧問の先生に言いました。
「合宿には行けません」
「どうしてだ?」
僕はしばらく答えられず、涙を流してしまいました
なんていえばいいのかわからなかったのです。
母のせいじゃない。
亡くなった父のせいでもない。
兄や弟のせいでもない。
じゃあ、なんで?
分からないまま、絞り出すように言いました。
「……お金がありません」
🍃恩師の言葉
先生は少し間を置いて、こう言いました。
「そうか。なら、わしが出しちゃる。だから、お前は合宿に行け」
慌てて首を振りました。
「いえ、そういうわけにはいきません」
すると先生は、少し笑って言いました。
「ええんじゃ。これはわしが好きで出す金じゃ。
“金は天下の回り物”って言ってな、わしは好きなことには金を惜しまん」
涙が止まりませんでした。
「必ず返します」
そう言うと、先生はこう返しました。
「出世払いでええ」
🎁返せたもの、返しきれていないもの
その合宿を経て、チームはさらにまとまり、強くなっていきました。
その後高校を出て資格を取り、介護福祉士として就職し、初任給をもらい、まず母をカフェに連れて行きました。
そしてその次に、剣道部の顧問の先生のところへ行きました。
ずっと胸の奥にあったもの、「恩」というものを返したかったんです。
「あの時の合宿費用です」
先生は、ちゃんと覚えてくれていました。
少し照れくさそうに、受け取ってくれました。
出世払い、というほど立派なものではありませんが、
少し胸が軽くなった気がしました。
正直に言えば、恩はまだ返しきれていません。でもこれ以上先生は求めていないし、先生に返す必要はないのだと思います。
次は僕が誰かに渡す番だから。
🍂おわりに
当時、顧問の先生は28歳くらいだったはずですが、どう考えても50歳くらいの貫禄があったように思えます。
現に今私は40歳ですが、あの時の先生と比べるとまだまだガキンチョです(●´ω`●)
あの時の先生がいなければ、今の僕はありません。
「金は天下の回り物」
「好きなことには惜しまない」
そう言って誰かの背中をそっと押せる人でいたいな、と思っています🍀
★おまけ★
「先生」って不思議なもので、
自分がいくつになっても、ずっと「先生」なんですよね。

