「シャドーワークをなくせ」という声が増えている。その気持ちは分かる。でも、なくすなら代替案が必要です。感情で語る前に、構造を考えたい。ケアマネとして、今思うことを静かに書きます。
こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
最近、シャドーワークを巡る議論が賑やかですね。
「なくすべきだ」 「それを美談にするな」 「ケアマネは何をしているんだ」
さまざまな立場から、さまざまな声が上がっています。
制度の隙間を、誰かの善意で埋め続ける構造は健全ではない。 疲弊を前提とした仕組みが長続きしないのも事実です。
その問題提起自体は、間違っていないと思います。
けれど、少し立ち止まって考えたいことがあるんです。
目次
🤔 シャドーワークはなぜ生まれるのか
シャドーワークとは、制度や契約に明確に位置づけられていないけれど、現場では確実に発生する仕事のことです。
誰の業務にも書いていない。 けれど、誰かがやらなければ、支援は回らない。あるいは命にかかわることもある。
制度は線を引きます。 しかし現実は、その線の内側だけで完結しないんですよね。
だから、誰かが動く。
それは美徳でも、搾取でもない。 ただ、現場の現実なんだと思います。
💬 「やめよう」と言うのは簡単だけど
「シャドーワークをやめよう」よくSNSでも聞かれますよね。
その気持ちは理解できます。反対する人も少ないでしょう。
だけど、なくすなら代替案が必要なんですよね。
- 誰が担うのか
- どこに報酬をつけるのか
- 制度改正をどう設計するのか
- 専任職を置くのか
構造を変えないまま「やめよう」と言っても、現場は止まりません。
かといってそれを考えるのは現場の仕事でもない。
さらに今この瞬間も、制度の線の外に落ちそうな場面は起きている。
設計図がないまま、振り回されている現場と
善意に甘えて見て見ぬふりをしている行政・・・。
そんなところでしょうか
💰 代替案は、ある。でも高い
実は、介護保険外のサービスという選択肢はあります。
いわゆる自費サービスです。
介護保険で1時間300円でお願いしていたことが、介護保険で賄えないサービスを自費で頼むと3,000円くらいになる。
あくまで例えですが、大体10倍くらいにはなります。
制度上は「使えるサービス」として存在しているんです。
でも、現実には使えない人が多い。
支払える力があるかどうかの問題。
ここで、また個々の話になってくるわけです。
「シャドーワークをなくそう」という声に対して、「じゃあ自費で」と言うのは簡単です。
でも、それが使える人と使えない人がいる。
そうなると、結局また誰かが埋めるしかない場面が出てくるんですよね。
この現実もまた事実。
📢 発信することの難しさ
私たちはプロです。
不特定多数が見る場所で、何をどう語るかは、少し慎重になった方がいいのかなと思っています。
現場の苦労を共有すること自体は悪ではありません。 問題提起も必要です。
でも、
感情をそのまま投げると、感情で返ってくることが多い。
論争は生まれます。 だけど、設計は進みにくい。
「今日こんなことがあった」 「本来は自分の仕事ではないけどやらざるを得なかった」
それを書いて、何が生まれるのか。
一瞬はすっきりするかもしれません。
だけど、構造は変わらないですよね。
💔 善意の難しさ
もう一つ、思うことがあります。
シャドーワークを「善意」でやってしまうケースもあるんですよね。
「かわいそうだから」 「困ってるから」
その気持ちは、本当に分かります。
でも、それが後任のケアマネを困らせることもあるんです。
「前のケアマネさんはやってくれたのに」
この言葉、何度か聞いたことがあります。
善意でやったことが、次の人の基準になってしまう。
これも、現場のリアルだなと思っています。
だから、「やらない」という選択も、時には必要なのかもしれません。
⚖️ ケアマネは何者か
ケアマネは何でも屋ではありません。 ヘルパーも便利屋ではない。
利用者と支援者をつなげる役目です。
それでも、制度の線の内側だけを見ていれば支援が成り立つわけでもない。
境界線を引く力は必要です。 だけど、境界線の向こう側に人がいる。
だからこそ、境界線をどう設計するかを議論していきたいんです。
感情ではなく、構造で。
🌀 美談にも、怒りにも寄らずに
私は、シャドーワークを正当化したいわけでもありません。 かといって、全面的に否定したいわけでもない。
現場には、予定外の雨が降ることがあります。 急なスコールのように。
むっちゃ濡れるのは仕方がない事だったりします。
私はプロとして
「むっちゃ濡れたんだけそむかつく!」ではなくて
「これは予測できなかった。こんな日もあるか。」と早く着替えて次に行きたい派です(●´ω`●)
そして、それをいちいち語らなくてもいいかなと思っています。
やるなら、静かにやる。
それもまた、一つの態度なんじゃないかなと。
🍂 最後に
シャドーワークは消えません。
消すなら、設計が必要です。
叫ぶ前に、設計を考えたい。 責める前に、構造を見つめたい。
そして、やったことをいちいち言葉にしなくてもいいかなと思っています。
プロとして、静かに立つ。
それが、今の私の立場です(●´ω`●)
★おまけ★
「えっちょっとそれやり過ぎじゃない!?」っと前任ケアマネのシャドーワークに腰抜かしたことあります(笑)
