こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
ご飯をおいしそうに食べる人素敵だなぁと思いながら、人の幸せについて考えてしまったまんぷくです(笑)
ちなみに息子も奥さんも寝ることが一番の幸せのようです( ˘ω˘)スヤァ
さて、幸せについて考える際に、色んな角度から話はできると思うんですけど、今日は「絶対的幸福感」と「相対的幸福感」について絞って話そうと思います。
二つの幸福感
相対的幸福感・絶対的幸福感。
幸せを定義する際に、大きくこの二つに分けられます
例えば同じおにぎりでも、豪華なレストラン帰りなら「質素だな」と思うし、山登りの頂上で食べれば「最高に美味しい!」と感じる。
→ 幸せって、場所や環境、比較の中で感じているのかもしれない
一方で、人に何と言われようが私はおにぎりが好きで、おにぎりさえあれば何もいらない
→比較ではなく、絶対的存在として君臨する幸せ
これは両方存在すると思うんですよね。
相対的幸福感の話
何かと比べて幸せや不幸せを感じる。
他人と比べて自分の方が不遇だ、恵まれていると感じてしまう。
人に限らず例えば収入や持ち物でも比べられるかもしれません。
もともと学校という場所はテストや運動で比べられることが多かったですよね。今でこそ桃太郎が何人も存在する劇なんかを保育園で見ますし、1番を作らないかけっこも見られるようになりましたが、受験などではどうしても比べられる世界で戦うことになります。
比べる中での幸せには常に比較対象が存在したりプラスマイナスの世界で存在したりします。
絶対的幸福感の話
逆に「比べなくても満ち足りている」感覚もある。推しを眺めているだけで幸せ🍀
あるいは家族と笑ってご飯を食べているとき。誰とも比較してないけど幸せを感じる、など。
自分は自分。周りは関係ない。
足りてようがなかろうが関係ない。
一方でこの絶対的幸せもかなり癖が強く、依存しやすいし防御力が非常に低いところも特徴です。
例えば推しのスキャンダルなどの裏切りに精神崩壊
唯一の趣味を捨てられることで絶望
唯一無二の存在だからゆえその反動は大きいわけです
どちらが良い悪いではない
同じ幸せでも出身が違うというか、一人はエリートサラリーマンで一人は職人の様な気質を持っているので、どちらの性質も理解しながら自分は何に幸せを感じられるかを知ることが大事です
そしてそれは相対的なものなのか、絶対的なものなのか
比較の中で味わえる幸せなのか
それとも唯一無二の揺るがないものなのか
相対的な幸せも悪いわけじゃないです、向上心につながりますしね。
でも行き過ぎると不幸に感じやすいかもしれません。
意識的に「絶対的な幸福」を見つける習慣を持つとバランスがいいかもしれません。
まとめ
幸せは「比較の中」でも「自分の中の超個人的な思いの中」でも感じられる。
大事なのは「自分の幸せはどこにあって、どっちに偏っているかな?」と時々振り返ること。
できればそれを自分でコントロールして、適度に自分にご褒美をあげていきたいですね🍀
私の幸せは積みあがったタスクを書き上げ、それらを終わらせるごとに線を引いて消していくことです(●´ω`●)
完全自己完結型なので絶対的幸福感ですかね。
皆さんの“幸せの形”はどっち寄りですか?
★おまけ★
SNSには比較したい人が多いなという印象。あまり比較することに興味がない私はSNSは苦手です💦