ケアマネのひとりごと ~神の見えざる手とケアマネ~

事業の話

こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)

アダム・スミスの『国富論』には、「神の見えざる手」という有名な言葉があります。

簡単に言うと、

「みんなが自分のために頑張っていたら、結果として社会全体もうまく回ることがある。」

という考え方です。

例えばパン屋さん。

パン屋さんは「社会のためにパンを焼こう」と思っているわけではなく、

「おいしいパンを作って、お客さんに買ってもらって、お金を稼ぎたい。」

と思ってパンを焼いています。

一方、お客さんは

「できるだけおいしくて、安いパンを買いたい。」

と思っています。

お互いが自分の利益を考えて行動しているだけなのに、

人気のパンはたくさん作られ、

売れないパンは自然と減っていく。

誰かが命令しなくても、市場全体がうまく調整されていく。

それをアダム・スミスは

「神の見えざる手に導かれている」

と表現しました。

つまり

「政府が過度にビジネスへ介入したり、特定の企業だけを優遇したりするより、人それぞれが自由に商売をした方が、結果的に国全体が豊かになる。」

という文脈で語られた話なんですよね。

つまり

「何もしない方がいい。」

という話ではなく、

「管理しすぎることにも弊害がある。」

という考え方。

私はこの考え方を読んだ時、「経済だけの話じゃないな」と思いました。

ケアマネは支援者なので、

「もっとこうした方がいい。」

「これも必要。」

と、つい介入したくなります。

でも実際はそれでうまくいくことは少ないです。

家族が勧めてもそう、結局は決めるのは本人。

「自由に自分のために自分で決めたい」わけなんです。

じゃあ本人に自主的に散歩してもらうためには、どうしたらいいのか。

私は、

「歩いてください。」

と何度も伝えることではないと思っています。

例えば、

デイサービスで気の合う友人ができたり、

近所の方から

「一緒に歩きませんか。」

と誘われたり、

「孫と公園へ行きたい。」

という目標ができたり。

そういう環境が整うと、

人って不思議と自分から動き始めることがあるんですよね。

歩くことが目的ではなく、

「○○したいから歩く。」

に変わる。

管理されるのではなく、歩きたいから歩く。

そういう本人が自然と動きたくなるきっかけや環境を考え、作る。

私なりに解釈すると、

神の見えざる手とは、

「放任(何もしない)」

ではなく、

「必要以上に管理しない」

という考え方なんじゃないかなと思っています。


必要以上に管理するのではなく、人と人との間で自然に生まれる”化学反応”を待つことも、時には大切なんだと思います。

ケアマネの仕事は、利用者さんの人生を管理することではありません。

もちろん必要な支援や提案はします。

でも最終的に人生を歩むのは本人です。

私たちの役割は、その人が自分らしく選び、自分らしく生活できる環境を整えること。

「神の見えざる手」という考え方も、そんな支援の在り方に少し通じるものがあるのかもしれませんね(●´ω`●)

★おまけ★

とまぁ、理想論ではあるんですよね。
実際はなかなかうまくいかない。歩きたくない人は歩きたくない(笑)

愚行権という「たとえ愚かな行為でも自分の領域内では自由で邪魔されない権利」という考え方もあるしね(笑)

うまくいかないことは多いですが、一緒に悩み、一緒に考えながら、その人なりの答えを探していく。

そんなケアマネでありたいなと思います(●´ω`●)

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