こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
今日は、昨日妻と話していて気づいたことについて書いてみようと思います。
というのも、独立してからというもの、休みらしい休みはなく、
朝から夜まで仕事をしている毎日なのですが、昨日ふと妻に言われたんですよね。
「ずっと仕事してるけど、体は大丈夫なの?」
心配してくれているのは分かりますし、ありがたい話です。
でもその時、僕は反射的にこう返していました。
「いや、むしろ忙しくない方が心配じゃない?」
🧠忙しい方が安心という考え方
自分で言っておいて、ちょっと笑ってしまいました。
独立して、昨日も今日も暇で、
明日も明後日も予定が空っぽ。
そんな状況だったら、正直、恐ろしくて夜も眠れないと思います(笑)
それなら、忙しい方がまだ安心できる。
そう感じている自分がいたんですよね。
でも、この感覚って、組織にいた頃には一度も持ったことがなかったんです。
組織にいた頃は、担当件数が多かろうが少なかろうが、給料は同じ。
忙しさは、どちらかと言えば「消耗」や「負担」に近いものでした。
もちろん、楽をしたいと思っていたわけではありません。
ただ、忙しいこと自体がモチベーションになるかと言われると、正直そんなことはなかったと思います。
🤔 忙しさの正体
それが今は、同じ「忙しい」でも意味がまったく違う。
忙しい=必要とされている
忙しい=経営が順調
忙しい=他人から選んでもらえている
そんな風に受け取っている自分がいるわけで。
一方で、もちろん「忙しければいい」という話でもありません。
頑張りすぎれば、キャパオーバーになる。
余裕がなくなれば、ケアマネジメントの質も落ちかねない。
経営の世界でよく言われる、歩合制か固定給か、という問題が良く飛び交いますが、私はそこの答えはまだわかりません。
なぜなら仕組み次第で、人の行動も感情もどうにでも変わってしまうから。
だからこそ、「忙しさ」は正義でも悪でもなくて、
それをどう扱っているか、どこまでコントロールできているか、そこが一番大事なんだと思います。
📚大事なのは自己管理
妻の心配は、きっと正しい。
僕の身体の事を何より心配してくれています。
だからこそ、今の自分は「コントロールできる範囲で忙しくありたい」
少なくとも、そう思っています。
忙しいから偉いわけでもないし、
暇だからダメなわけでもない。
ただ、立場が変わると、
同じ「忙しい」という言葉の意味が、こんなにも変わるんだなと。
昨日の会話を通して、そんなことを考えさせられました。
🍂 おわりに
独立すると、働き方も、価値観も、少しずつズレてきます。
そのズレに気づけるかどうか。
立ち止まって考えられるかどうか。
忙しいかどうかよりも、
「今の自分は、ちゃんと舵を握れているか」
そこを忘れずにいたいな、と思った一日でした(●´ω`●)
★おまけ★
「早起きができなくなってきたのは、身体がバランスをとろうとしているのだ」と自分に言い訳をしている自分がいます(●´ω`●)

