ケアマネのひとりごと ~暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう~

福祉の話

こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
今日はマザーテレサの名言をもとに、「働き方」について考えていきたいと思います。

私はカトリックでもないしこれは布教活動でもなんでもなくて、ただのイチケアマネの職業倫理の話です。


🗣 心のともしび

「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」
──マザーテレサ


💭 子供のころの衝撃

マザーテレサのこの言葉は、私が当時まだ小学校低学年だったころ、テレビを見ていると、画面にろうそくがぼんやり浮かび上がり「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう」という女性の声と共に文字が浮かび上がる。そんな感じの演出でした。この言葉に強い衝撃を胸に感じたことを記憶しています。

これはカトリック関係の番組だったようですが、私は無宗教です。宗教は関係なく、良い言葉は素直に心に響くものだと思います。そして、私は当時一桁の歳から現在に至る30年以上この言葉を大事に生きてきています。


🔍 言葉の意味

では、この言葉の意味をもう少し掘り下げてみましょう。

  • ①理不尽への向き合い方
    生きているといろんな「理不尽」という名のもらい火を食らいます。
    普通なら「誰のせいだ?」と犯人探しをしたくなるところですが、私はそうは考えません。
    とっくに消火して、次のことを考えているからです。
  • ②誰かのために、はノータイムで
    小学生のころとかよく周りの子が牛乳瓶を落として割ったりすることありませんでした?その当時から私は考えるより先に、片付けのためにダッシュしていました。中高でもそう、大人になってからもそう。あっ牛乳瓶に限らずですよ(笑)
    損得や“偽善かどうか”なんて考えていたら、それだけ時間がロスしてしまう。そんなこともあってか私はよく偽善者と言われてきました。でも全然かまいません。偽善者でも構わないんです。
  • ③人に頼らない
    誰かがしてくれたらいいのに・・・。そう思うことってありますよね。でもそれもいろんなロスだなって思います。
    だって自分でしてしまえばそこで終わりですから。あれ持ってきてくれたらいいのに、あれ運んでくれたらいいのに、あの仕事してくれたらいいのに。
    「○○を誰かしてくれないかな?」それら全部引き受けます。でもだからと言って相手に見返りを求めることもしません。そんなことしてる暇があればもっと灯りをつけに行くことができるからです

🧓 気付けば自分の体の一部になっていた

私はどの職場でも必ず一番最初に出社していました。
それはやらされているわけではなくて、仲間が気持ちよく働ける環境づくりをしたかったからです。
空気の入れ替えをし、郵便物の振り分けやプリンターの用紙の補充、机をアルコール消毒し、床の掃除機掛けなどもしていました。夏冬は早めにエアコンをかけて皆が快適で過ごせるように環境整備していました。

これらについて特に理由はなかったんです。ただ仲間が働きやすい方が良いよね。って思ってただけで。
でも今思えば、この考えの根底にはこのマザーテレサの名言があったのかもしれないなと。


🌱 まとめ

「誰かがしてくれたらいいな」の「誰か」が自分でありますように。

私は時々これを思うんです。

客観的に、例えば空から地上を見てるとして。
そこに誰か困っている人がいて、それを誰かが助ける場面があったとする。

その時駆けつけている人が自分だったらいいなって思うんです。

逆に見て見ぬふりをしてる人々の中に自分がいたら失望すると思うんです。
偽善者と後ろ指さされることは何度もありました。でもそれ以上に「ありがとう」も貰ってきました。
私はそんな人生が嫌いではないんですよね


★おまけ★
小学4年生の時に、体調不良で自分が学校の廊下で吐いてしまった際に、ノータイムで助けてくれた須々木さんのことを今でも感謝しています(●´ω`●)

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