こんにちは、まんぷくケアプランのまんぷくです(●´ω`●)
おかやまマラソンの県民枠が落ちて心のどこかでホッとした気持ちがあるまんぷくでもあります(●´ω`●)
まだ一般枠への自動抽選もあるので油断はできません💦去年も企業一年目で練習もあまりできなかったのにありがたいことに抽選してしまったので、今年も当たれば言い訳せずに完走したいと思います(笑)
ということを言いながら、最近自分の時間が全くないなと。奥さんにも心配される始末です。
昔はゲームをしたり本を読んだり楽しみがあったのに今は寝ても覚めても365日働いてる。変わらないのはインドアってだけ(笑)
確かになぁと思いながら、今日も記録の整理をしています。
んでね、最近ふと思うんです。
なんだか今の時代、「休むこと」にすら許可が必要になってないかなって。
🧠 ずっと誰かに見られている感覚
SNSを開けば、
- 頑張ってる人
- 結果を出してる人
- 意識の高い発信
そんなものが次から次へと流れてきますよね。
すると不思議と、
「自分も何かしなきゃ」
って気持ちになる。
もちろんそれ自体が悪いわけではありません。
頑張ることって大事だと思います。
実際、独立初期なんて馬車馬のように働かないと本当に生き残れない部分もある。これは現実です。
だから頑張る時期って確かにあるんですよね。
🐎 とはいえずっと戦闘モードは疲れる
ただ問題はずっとその状態でいることってどうなん?と
気付いたら休むことにまで理由を求め始める。
- ゲームしていても「これ意味あるのかな?」とか
- 昼寝していても「もっと有意義なことできたんじゃ」とか
- ぼーっとしていても「サボってる気がする」とか
そんな風に、何もしない時間に罪悪感を持ち始める。
しかも厄介なのが、誰に怒られるわけじゃなくて勝手に罪悪感を感じちゃう。
- 「見られている気がする」
- 「言ったからにはやらないと」
- 「期待を裏切っちゃいけない」
そんな空気を自分で背負い続けてしまう。
そんな人が今多いんじゃないかって思うわけです。
🌱 休み方にすら”正解”を求める時代
最近は休み方にすら
「適切な休み方」
みたいな空気がありますよね。
休み方まで正解不正解あんの!?みたいな
- 質の良い睡眠
- 意味のある趣味
- 学びのある休日
- 効率的なリフレッシュ
いや、悪いとは言いませんけど。
でも休む時くらい、
自分ルールの中でもうちょっと馬鹿になってもいいんじゃないかなって思うんです。
🎮 一瞬くらい”抜ける”
別に大きく人生を変えようとか、
全部投げ出そうとか、そういう話ではなくて。
一瞬でいいから、
令和の時代から、社会から”抜ける”
時間を作れないかなって。
- 何も考えずゲームする
- ダラダラ漫画読む
- 意味もなく散歩する
- アイス食べながらぼーっとする
そういう生産性ゼロの時間。
そういうひと時が必要な気がしてるんです。
🧩 頑張れる人ほど危ない
頑張れる人って、
本当に頑張れてしまう。
だからこそ気付いた時には、
ずっとアクセル踏みっぱなしになってたりする。
そして休むことにまで許可が必要になる。
「このくらい頑張ったから休んでいいかな」
みたいに。
もはや何と戦ってるのかわからない人を時々見かけます(´・ω・`)
🍂 おわりに
令和って便利で豊かな時代だけど、
その分ずっと誰かに見られているような、
そんな生きづらさもある気がしています。
だからこそ一瞬くらい肩の力を抜いてもいい。
何者にもならなくていい。
生産性がなくてもいい。
ぼーっとする時間があってもいい。
そうやって少し“抜ける”ことで、
別によりよい明日にならなくてもいい
って、実はこれ、
自分自身にも向けている話なんですよね。
周りにも頑張り過ぎている人が結構いて、
少し心配になったりしています(●´ω`●)
★おまけ★
老後はやりたかったゲームを時間にとらわれず片っ端からやりまくりたい
ていう夢があります(●´ω`●)
